概念がまとう色や形:抽象的な思考と感覚のユニークな結合
はじめに:抽象概念に感覚を見る世界
私たちの世界は五感を通じて知覚されますが、共感覚者の知覚はさらに多様な広がりを見せます。これまでの記事では、文字に色を見る「文字色共感覚」や、音に形を感じる「音形共感覚」、あるいは時間や数字が特定の空間的配置を伴う共感覚など、比較的特定の感覚入力とそれに対応する誘発感覚のペアに焦点を当ててきました。
しかし、共感覚のスペクトラムは、より抽象的なレベルの概念にも及びます。例えば、「月曜日」という曜日名に特定の色や形を感じたり、「誠実さ」といった抽象的な性格特性に特定の質感や位置を伴って感じたりする人々が存在します。このような、抽象的な概念が特定の色や形、質感といった具体的な感覚と結びつく現象は、「概念共感覚(Conceptual synesthesia)」あるいは「語彙-感覚共感覚(Lexical-gustatory synesthesiaのように、特定の語彙が感覚を誘発する場合を含む broader sense で)」などと呼ばれ、共感覚研究の興味深い領域の一つです。
本記事では、この「概念共感覚」の世界に焦点を当て、その多様な現れ方、共感覚者の体験談、そして学術的な視点から見た認知メカニズムや研究の現状について掘り下げていきます。抽象的な思考が感覚と結びつく、そのユニークな結合の謎に迫りましょう。
概念共感覚の多様な現れ方
概念共感覚は、特定の単語や概念、さらには思考そのものが、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といった感覚的な体験を誘発する現象を指します。対象となる概念は非常に多岐にわたります。
例えば、最も一般的なものとしては、曜日や月、数字、文字などの「順序付けられた概念」が特定の色や空間的な位置と結びつくケースが挙げられます。これは時間形共感覚や数字形共感覚と重なる部分もありますが、より抽象的な「概念」としての認識が感覚を誘発するという側面が強い場合があります。例えば、「月曜日は灰色で、少し冷たい感じがする」「1月はカレンダーの上部に、緑色のブロックとして存在する」といった体験は、単なる視覚的なマッピングを超えた、概念そのものに付随する感覚的クオリティを含んでいます。
さらに抽象的な概念も対象となり得ます。性格特性(例:「怒り」は赤くギザギザしている、「優しさ」は柔らかく暖かい)や、感情、抽象名詞(例:「自由」は広がる青い空間、「希望」は明るい光)、さらには個別の単語(例:「コーヒー」という単語を聞くと苦い味や香りを強く感じる)など、その範囲は個人によって大きく異なります。
これらの感覚体験は、共感覚者にとって現実と同じように具体的で、一貫性があり、自発的に生じるものです。多くの場合、特定の概念を考えたり、その概念を指す言葉を聞いたり読んだりする際に、自動的に感覚が伴って現れます。
共感覚者の体験談:抽象世界を感覚で捉える
概念共感覚は、共感覚者にとって世界を理解し、記憶し、思考する上で独特の影響を与えていると考えられます。
例えば、ある概念共感覚者は、「公平さ」という言葉を聞くと、特定の幾何学的な形が空間に現れると報告しています。この形は、その人にとって「公平さ」の本質的な構造を表しているかのように感じられ、議論の中で「公平さ」について考える際に、この形を「見る」ことで概念をより深く理解したり、思考を整理したりする助けになると述べています。
また別の例では、特定の人物の性格について考える際に、その性格特性に対応する色や質感が感じられるという人もいます。これは、抽象的な人物像の理解に、感覚的な彩りや深みを与える可能性があります。
これらの体験は、抽象的な思考が単なる記号や論理的操作に留まらず、感覚と結びつくことで、より豊かで多層的なものになりうることを示唆しています。感覚的なアンカーがあることで、複雑な概念も直感的に把握しやすくなる場合があるかもしれません。
学術的な視点:認知メカニズムと関連研究
概念共感覚は、伝統的な共感覚研究に加えて、認知科学、言語学、哲学、神経科学といった多様な分野から関心を集めています。特に、言語と感覚、あるいは抽象的な思考と具象的な感覚がどのように脳内で結びつくのかという問いは、ヒトの認知の根源に関わるものです。
概念共感覚の神経科学的な基盤については、まだ研究途上ですが、他のタイプの共感覚と同様に、脳内の異なる領域間の異常な、あるいは強化された結合が関与しているという仮説が有力です。例えば、言語を処理する領域と、色、形、質感などを処理する感覚野との間に、通常よりも密な神経結合が存在する可能性が考えられます。
特に興味深いのは、概念共感覚が、私たちがどのように抽象的な概念を理解し、表象しているのかという認知科学的な問いに示唆を与える点です。 embodied cognition(身体化された認知)の考え方によれば、私たちの抽象的な思考や理解は、身体的な経験や感覚的な知覚に根ざしています。概念共感覚は、この身体化された認知の極端な例、あるいは異なる神経メカニズムによる発現形態と捉えることもできるかもしれません。
研究では、概念共感覚者の脳活動をfMRIなどで測定したり、特定の概念を提示した際の反応時間を調べたりすることで、そのメカニズムを解明しようとしています。また、共感覚が発達の比較的早い段階で確立されること、そして多くの場合生涯を通じて安定していることから、脳の発達における臨界期や可塑性との関連も研究されています。
しかし、概念共感覚は非常に多様であり、個々のケースにおける誘発概念や感覚の種類、そしてそれらがどのように結びつくのかは一様ではありません。この多様性が、研究を複雑にしていますが、同時にヒトの脳と認知の驚くべき柔軟性を示してもいます。
結論:思考と感覚の新たな地平
概念共感覚は、抽象的な思考という、一見すると感覚とは最も縁遠い領域に、色や形、質感といった具体的な感覚が結びつくという、私たちの認知の驚くべき多様性を示す現象です。このユニークな知覚は、共感覚者の日常生活や思考、記憶に独特の影響を与え、抽象的な世界をより感覚的に、豊かに理解することを可能にしているかもしれません。
学術的な視点からは、概念共感覚は言語、思考、感覚、そしてそれらが脳内でどのように結びつくのかという、認知科学や神経科学の根源的な問いに対する新たな示唆を与えてくれます。まだ解明されていない部分も多いですが、概念共感覚の研究は、ヒトの抽象的な概念形成や理解のメカニズム、そして脳の驚くべき可塑性と多様性についての理解を深める上で、重要な役割を果たすと考えられます。
概念共感覚の世界は、見えない抽象的な概念にも感覚的な彩りや形が宿る可能性を示唆し、私たちの知覚と思考の可能性の広がりを改めて教えてくれるものです。共感覚の研究が進むにつれて、私たちは自身の知覚がいかに多様で、未解明な部分に満ちているかを知ることになるでしょう。